大阪地方裁判所 平成4年(ワ)3532号 判決 1996年12月25日
甲事件原告、乙事件被告(以下「原告」という。)
吉岡純二
甲事件原告(以下「原告」という。)
小倉徳子
同
横野真理
同
萩原政彦
同
久保田玲子
同
安陵萠子
同
紫冨田薫
乙事件被告(以下「被告」という。)
隈崎守臣
同
株式会社コングレ
右代表者代表取締役
隈崎守臣
右九名訴訟代理人弁護士
豊川義明
同
雪田樹理
右豊川義明訴訟復代理人弁護士
飯高輝
同
高橋典明
甲事件被告、乙事件原告(以下「被告」という。)
日本コンベンションサービス株式会社
右代表者代表取締役
近浪廣
右訴訟代理人弁護士
竹林節治
同
畑守人
同
中川克己
同
福島正
同
松下守男
主文
一 被告日本コンベンションサービス株式会社は、原告小倉徳子に対し、金四九三万五〇〇〇円及びこれに対する平成二年八月一六日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を支払え。
二 被告日本コンベンションサービス株式会社は、原告横野真理に対し、金一〇六万八〇〇〇円及びこれに対する平成二年八月一六日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を支払え。
三 被告日本コンベンションサービス株式会社は、原告萩原政彦に対し、金一〇一万三〇〇〇円及びこれに対する平成二年八月一六日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を支払え。
四 被告日本コンベンションサービス株式会社は、原告久保田玲子に対し、金三三万四〇〇〇円及びこれに対する平成二年八月一六日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を支払え。
五 原告小倉徳子、同横野真理、同萩原政彦及び同久保田玲子の被告日本コンベンションサービス株式会社に対するその余の請求をいずれも棄却する。
六 原告吉岡純二、同安陵萠子及び同紫冨田薫の被告日本コンベンションサービス株式会社に対する請求をいずれも棄却する。
七 被告日本コンベンションサービス株式会社の原告吉岡純二、被告隈崎守臣及び被告株式会社コングレに対する請求をいずれも棄却する。
八 訴訟費用は、原告吉岡純二、同小倉徳子、同横野真理、同萩原政彦及び同久保田玲子と被告日本コンベンションサービス株式会社との間においては、これを五分し、その一を原告吉岡純二、同小倉徳子、同横野真理、同萩原政彦及び同久保田玲子の、その余を被告日本コンベンションサービス株式会社の負担とし、原告安陵萠子及び同紫冨田薫と被告日本コンベンションサービス株式会社との間においては、右原告両名らの負担とする。
事実
第一請求
(甲事件)
一 原告ら
1 被告日本コンベンションサービス株式会社(以下「被告日本コンベンション」という。)は、原告吉岡純二(以下「原告吉岡」という。)に対し、金四二四万六〇〇〇円及び内金三七四万六〇〇〇円に対する平成二年八月一六日から支払済みに至るまで年六分の、内金五〇万円に対する同年七月一二日から支払済みに至るまで年五分の各割合による金員を支払え。
2 被告日本コンベンションは、原告小倉徳子(以下「原告小倉」という。)に対し、金五四三万五〇〇〇円及び内金四九三万五〇〇〇円に対する平成二年八月一六日から支払済みに至るまで年六分の、内金五〇万円に対する同年七月一二日から支払済みに至るまで年五分の各割合による金員を支払え。
3 被告日本コンベンションは、原告横野真理(以下「原告横野」という。)に対し、金一六一万三〇〇〇円及び内金一一一万三〇〇〇円に対する平成二年八月一六日から支払済みに至るまで年六分の、内金五〇万円に対する同年七月一二日から支払済みに至るまで年五分の各割合による金員を支払え。
4 被告日本コンベンションは、原告萩原政彦(以下「原告萩原」という。)に対し、金一五一万三〇〇〇円及び内金一〇一万三〇〇〇円に対する平成二年八月一六日から支払済みに至るまで年六分の、内金五〇万円に対する同年七月一二日から支払済みに至るまで年五分の各割合による金員を支払え。
5 被告日本コンベンションは、原告久保田玲子(以下「原告久保田」という。)に対し、金八四万二〇〇〇円及び内金三四万二〇〇〇円に対する平成二年八月一六日から支払済みに至るまで年六分の、内金五〇万円に対する同年七月一二日から支払済みに至るまで年五分の各割合による金員を支払え。
6 被告日本コンベンションは、原告安陵萠子(以下「原告安陵」という。)に対し、金五〇万円及びこれに対する平成二年七月一二日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
7 被告日本コンベンションは、原告紫冨田薫(以下「原告紫冨田」という。)に対し、金五〇万円及びこれに対する平成二年七月一二日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
8 訴訟費用は被告日本コンベンションの負担とする。
9 1ないし7につき、仮執行宣言
二 被告日本コンベンション
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
(乙事件)
一 被告日本コンベンション
1 被告隈崎守臣(以下「被告隈崎」という。)、原告吉岡及び被告株式会社コングレ(以下「被告コングレ」という。)は、被告日本コンベンションに対し、各自、金一億五〇〇〇万円及びこれに対する原告吉岡については平成四年五月一二日から、被告隈崎及び被告コングレについては平成四年五月一三日から支払済みに至るまで年五分の各割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は、被告隈崎、原告吉岡及び被告コングレの負担とする。
3 仮執行宣言
二 被告隈崎、原告吉岡及び被告コングレ
1 被告日本コンベンションの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は、被告日本コンベンションの負担とする。
第二主張
(甲事件)
一 請求原因
1 当事者
(一) 被告日本コンベンションは、国際会議、学会、イベントの企画・運営を主たる業務とする会社で、大阪市北区<以下、略>に関西支社を置き、他に名古屋支店及び京都支店を有している。
(二) 原告らは、いずれも被告日本コンベンションに雇用され、同被告関西支社(以下「関西支社」という。)及び京都支店に勤務していたが、いずれも平成二年七月一五日退職した。
2 退職金請求について
(一) 被告日本コンベンションの退職給与規程は、次のとおり規定している。
第四条 退職一時金は満三年以上勤務して退職した場合に支給する。
第五条 退職一時金は退職時の基礎賃金に勤続年数に応じて定めた下記の定率を乗じて得た金額とする。
勤続年数 三年以上 二・七
勤続年数 四年以上 四・〇
勤続年数 五年以上 五・五
勤続年数 六年以上 七・〇
勤続年数 七年以上 八・五
勤続年数 八年以上 一〇・〇
勤続年数 九年以上 一一・五
勤続年数 一〇年以上 一三・〇
以後一年を増すごとに定率一・〇を加える。
勤続年数に端数を生じた場合は、その端数に対する支給率は該当年率とこれに次ぐ勤続年数の定率との差額を月割として算出する。
第六条 従業員が自己の都合により退職する場合の退職一時金は次のとおりとする。
勤続年数 三年以上 五年未満
第五条により算出される金額の三割 五年以上 一〇年未満
第五条により算出される金額の五割 一〇年以上 一五年未満
第五条により算出される金額の七割五分
一五年以上
第五条により算出される金額の一〇割
第一二条 退職一時金は退職発令後 三〇日以内に通貨にて支給するを原則とする。
(二)(1) 原告吉岡は、昭和五三年四月一日、被告日本コンベンションに入社し、平成二年七月一五日退職するまで、一二年四か月同被告に勤務し、退職時の基本給は、三二万五六六〇円であった。
(2) 原告小倉は、昭和四九年六月二一日、被告日本コンベンションに入社し、一一か月の休職期間を除き、平成二年七月一五日退職するまで、一五年二か月同被告に勤務し、退職時の基本給は、二七万一六四〇円であった。
(3) 原告横野は、昭和五八年一月五日、被告日本コンベンションに入社し、平成二年七月一五日退職するまで、七年七か月同被告に勤務し、退職時の基本給は、二三万七二三〇円であった。
(4) 原告萩原は、昭和五八年四月一日、被告日本コンベンションに入社し、平成二年七月一五日退職するまで、七年四か月同被告に勤務し、退職時の基本給は、二二万五一一〇円であった。
(5) 原告久保田は、昭和六〇年九月一六日、被告日本コンベンションに入社し、平成二年七月一五日退職するまで、四年一〇か月同被告に勤務し、退職時の基本給は、二一万七一四〇円であった。
(6) 以上により、原告吉岡、同小倉、同横野、同萩原及び同久保田(以下「原告吉岡ら」という。)の各退職金を計算すると、別紙一記載のとおりとなる。
3 不法行為による損害賠償について
(一) 被告日本コンベンションは、原告らに対し、平成二年七月一一日、「当社と競合する会社の設立に参画して、会社の業務を著しく阻害し、かつ会社の信用を毀損して就業規則に違反したので、七月一三日をもって貴殿を懲戒解雇いたします」との懲戒解雇の通知(以下「本件解雇」という。)をした。
(二) 本件解雇は、原告らが退職の意思表示をした平成二年六月一一日の後に、原告らの退職に対する報復措置としてなされたもので、懲戒解雇権を濫用する違法な行為である。
(三) 原告らは、本件解雇により人格と名誉を侵害された。
(四) 原告らの右精神的苦痛を慰謝するには、それぞれ金五〇万円が相当である。
4 よって、原告らは、被告日本コンベンションに対し、別紙一記載の各退職金とこれに対する退職金支給日の翌日である平成二年八月一六日から支払済みに至るまで商事法定利率年六分の、また、原告らは、不法行為による損害賠償債権各五〇万円とこれに対する不法行為の日の翌日である同年七月一二日から支払済みに至るまで民法所定年五分の各割合による各金員の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1(一)及び(二)は認める。
2(一) 同2(一)は認める。
(二)(1) 同2(二)の(1)(2)(4)は認め、同2(二)(6)のうち、原告吉岡、同小倉及び同萩原については認める。
(2) 同2(二)(3)のうち、昭和五八年一月五日から退職金を算定することは否認し、その余は認める。同2(二)(6)のうち、原告横野について争う。
原告横野は、昭和五八年一月五日、アルバイト(実態としては、契約社員のような取扱であり、学生アルバイトのようなものとは異なる。)として被告日本コンベンションに採用され、同年四月一日付けで一般職社員となり、同年一〇月一七日付けで正社員として採用された。一般職社員は、正社員と区別された存在であり、本来なら退職金算定の対象とならないが、本件訴訟では、特例として一般職社員として採用された時点から退職金を算定することを認め、これによると、同人の退職金は別紙二記載のとおりとなる。
(3) 同2(二)(5)のうち、昭和六〇年九月一六日から退職金を算定することは否認し、その余は認める。同2(二)(6)のうち、原告久保田について争う。
原告久保田は、昭和六〇年九月一六日、アルバイトとして被告日本コンベンションに採用され、同年一一月一六日付けで試雇用員として採用されたのであるから、同日から退職金の算定をすべきで、これによると、同人の退職金は別紙二記載のとおりとなる。
3(一) 同3(一)は認める。
(二) 同3(二)ないし(四)は争う。本件解雇が違法でないことは後記のとおりである。
三 被告日本コンベンションの抗弁
1 退職金債権の不支給事由について
(一) 被告日本コンベンションは、別紙三<略、以下同じ>記載のとおり就業規則を定め、原告らには、右就業規則に該当する懲戒解雇事由がある。
(二)(1) 従業員の引抜行為
原告らは、被告隈崎及び原告吉岡を首謀者として、平成二年五月ころから、被告日本コンベンションの一員として担当してきた業務を同被告から奪い取り、自分たちで新会社を設立するという計画を立て、関西支社の各部門の責任者全員を含む主要な従業員のほとんどを(翻訳部門については全員)、また、名古屋支店及び京都支店の全従業員を引き抜き、特に原告らが新会社設立を宣言した後は、業務中であると否とを問わず、しかも上司としての圧力をもって、場合によっては有無をいわさず強要に近い形で引抜行為をした。被告日本コンベンションの業務内容は、取引先と従業員との個人的関係により継続的に受注を得るという強い特性を有していることから、従業員を引き抜かれたことによって、取引先も丸ごと横取りされ、その結果、名古屋支店及び京都支店は閉鎖となり、関西支社も閉鎖同然の状態になった。
原告らのこのような引抜行為は、就業規則三八条二号(三二条、三三条八号)、同条三号及び同条四号に該当する。
(2) 株式会社ネットワーク(以下「ネットワーク」という。)の設立
原告らは、被告隈崎の指示に基づき、被告日本コンベンションに無断で、被告コングレの設立資金を作るためネットワークを設立し、関西支社が行っていた業務の一部を無断でネットワークに移管するとともに、ネットワークの名前で被告日本コンベンションに請求まで起こした。
原告らのこのような行為は、企業秩序に違反する不当なものであり、就業規則三八条二号(三二条、三三条二項)及び同条一〇号に該当する。
(3) 隠し口座の開設
原告らは、被告日本コンベンションに無断で、わかっているだけでも四箇所の銀行に隠し口座を開設し、同被告に引き渡すべき売掛金などの金員を不法に領置した。
原告らのこのような行為は、就業規則三八条二号(三二条、三三条二号)及び同条四号に該当する。
(4) 被告日本コンベンションの資産、書類、物品などの持ち去り
原告らは、被告の資産、書類、物品などを無断で被告コングレに持ち去り、あるいは証拠湮滅のため廃棄するなどした。
このような行為は、就業規則三八条二号(一六条、三一条一項、三二条、三三条二号、同条五号、同条六号、同条八号)、三八条四号及び同条七号に該当する。
(5) 業務の引継を行わず、あるいは引き延ばした行為
原告らは、新会社設立行為に対する被告日本コンベンションの対応を遅らせ、その取引先を奪い取るため、業務の引継を意図的に行わず、あるいは引き延ばした。
原告らのこのような行為は、就業規則三八条二号(三一条一項、三二条)、同条四号及び同条一一号に該当する。
(6) みだりに職場を離脱し、新会社のための活動を行った行為
原告らは、ネットワーク及び被告コングレの設立準備や活動などのため、ほしいままに職場を離脱し、業務を放棄して被告日本コンベンションの業務に重大な支障を生ぜしめるとともに、従業員の立場にありながら、在職中から競業会社の業務を行った。
このような行為は、就業規則三八条二号(三〇条二項、三一条二項、三二条、三三条二号、同条六号、同条一一号)、三八条三号、同条四号、同条六号(ただし、同条一二号を適用)、同条一〇号及び同条一一号に該当する。
(7) 取引先に対する欺罔行為など
原告らは、被告日本コンベンションが倒産したとか、同被告の業務が被告コングレに引き継がれたとか、被告日本コンベンションが社名変更して被告コングレになったなどと虚偽の事実を述べて、被告日本コンベンションの取引先を欺罔し、新会社と契約するよう仕向けるなどした。
原告らのこのような行為は、就業規則三八条二号(三二条、三三条三号、同条四号、同条八号)、三八条四号及び同条八号に該当する。
(8) 被告コングレの設立
原告らは、前記のような不当な手段によって被告日本コンベンションから奪い取った取引先の受け皿として、在職中から被告コングレ設立の準備を進め、現実にこれを設立し、事実上その活動を開始した。
原告らのこのような行為は、就業規則三八条二号(三〇条二項、三一条二項、三二条、三三条二号、同条一一号)、三八条四号及び同条一〇号に該当する。
(9) 競業避止義務違反
原告らは、就業規則三一条二号に基づき、退職後も競業避止義務を負担し、かつ、原告らのうち原告吉岡、同横野、同久保田、同萩原、同安陵及び同小倉は、個別的にも、契約により競業避止義務を負担しているにもかかわらず、被告日本コンベンションを退職した直後から、被告日本コンベンションの業務地域において、営業活動を行った。
右原告らの右行為は、就業規則三八条二号に該当するとともに、右競業禁止契約に違反する。
(三) 被告日本コンベンションの退職給与規程(<証拠略>)一〇条一項(以下「本件不支給条項」という。)は、「懲戒解雇により退職となる場合には、退職一時金の全部または一部を支給しないことがある。」と定めている。したがって、被告日本コンベンションは、原告吉岡らに対し、退職金を支払わない。
2 権利の濫用について
仮に、本件不支給条項が無効であるとしても、原告吉岡らに前記のような悪質な背信行為が存する以上、原告吉岡らの退職金請求は、権利の濫用として認められない。
四 抗弁に対する認否
1(一) 抗弁1(一)のうち、就業規則は認め、その余は否認する。
(二)(1) 同1(二)(1)は否認する。
(2) 同1(二)(2)のうち、被告隈崎の指示によりネットワークを設立したことは認め、その余は否認する。ネットワークは、原告安陵の負担を軽減する目的で設立されたものである。すなわち、原告安陵が多忙で、帰宅時間が遅いことを心配した同人の両親が、平成二年一月ころ、同人の退職を求めてきたが、原告安陵は、アルバイトスタッフの管理統轄業務を一人で行っていたことから、同人が退職すると、関西支社の業務に影響を与えることになる。そこで、同人の仕事を別会社に請け負わせることにより、同人の負担を軽減しようとしたのである。
(3) 同1(二)(3)のうち、口座を開設したことは認め、その余は否認する。コンベンション業務を遂行するに当たっては、顧客から口座の開設を指示されたり、預かった金員を保管するため口座を開設する必要があり、これらの口座の開設も、業務上の必要性に基づくものである。
(4) 同1(二)(4)は否認する。
(5) 同1(二)(5)は否認する。原告らは、被告日本コンベンション退職後も、コンベンション業界で活動するため、顧客筋の信用を得なければならず、不十分な引継によって顧客に迷惑をかけると、新会社の活動にも影響すると考え、誠実かつ充分な引継を行った。
(6) 同1(二)(6)及び(7)は否認する。
(7) 同1(二)(8)のうち、在職中から被告コングレ設立の準備を進め、同被告を設立したことは認め、その余は否認する。
(8) 同1(二)(9)のうち、就業規則の規定及び被告日本コンベンションを退職した直後から、同被告の業務地域において、営業活動を行ったことは認め、その余は否認ないし争う。仮に、被告日本コンベンション主張の競業避止契約が有効に成立しているとしても、これは職業選択の自由を大幅に制限するものであるから、これは限定的に解釈の上、適用されるべきである。
(9) 被告日本コンベンション代表取締役社長近浪廣(以下「近浪社長」という。)は、被告隈崎の関西支社長たる地位を突然解任したが、このことがきっかけとなって、原告らは、被告コングレを設立したのであって、何ら計画的なものではない。
すなわち、被告隈崎は、赤字であった関西支社を立て直すため、昭和六〇年九月、同被告の取締役関西支社長に就任し、関西支社の業績を立て直すとともに、そのことが評価されて、平成元年九月、被告日本コンベンションの社内改革を実行するため、同被告の代表取締役副社長に就任した。被告隈崎は、管理本部長である中西慶雄取締役(以下「中西取締役」という。)らとともに、社内改革の手始めとして、<1>恒常的な長時間残業に対する時間外手当の支給など社員の待遇改善、<2>経営幹部の責任追及を二本柱として掲げ、社内改革に着手したところ、近浪社長らの妨害によって躓き、何ら社内改革を実施できないまま、平成二年四月四日代表取締役副社長を辞任する旨の届けを提出し、受理された。その後、被告隈崎は、関西支社において支社長として勤務していたが、平成二年六月七日、近浪社長が突然関西支社を訪れ、被告隈崎に対し、関西支社長を解任すると通告したことから、原告らは、これ以上近浪社長のワンマン経営についていけないと考え、自分たちで新会社を設立しようと決意するに至った。
このように、本件は、近浪社長の従業員無視のワンマン経営がもたらしたもので、すべて経営者の責任であり、原告らによる計画的な新会社の準備や設立、顧客や業務の横取り、従業員の引抜など一切ない。
(二)(ママ) 同1(三)のうち、本件不支給条項の存在は認め、その余は否認ないし争う。
2 抗弁2は争う。
五 原告らの再抗弁
1 解雇権の濫用
(一) 平等原則違反
労働契約関係においては、差別的な取扱が禁止され(労働基準法三条)、このことは、懲戒解雇の場合における平等取扱の原則として要件化されているが、関西支社の従業員で、被告コングレに参加した者は、原告らのみに限られるわけではないから、被告日本コンベンションが、原告らのみを懲戒解雇とし、その他の者について懲戒解雇としなかったことは、明らかに平等取扱の原則に違反している。
(二) 目的の不当性
請求原因3(二)のとおり
2 本件不支給条項の無効
被告日本コンベンションは、本件不支給条項を平成二年五月三〇日改訂したと主張するが、このような不支給条項の新設は、被告日本コンベンションの就業規則を変更するものであるから、従業員の過半数の意見を聴取しなければならない。しかし、被告日本コンベンションは、何らそのような手続を経ず、従業員に対する周知もなされていない。
したがって、本件不支給条項は無効である。
六 再抗弁に対する認否
1(一) 再抗弁1(一)は争う。原告らは、ネットワークや被告コングレの発起人、株式引受人、取締役、監査役などに就任し、あるいは、登記申請の際に代理人となって、新会社の設立に積極的に関与しているのであるから、原告らのみに対して、本件解雇を行ったとしても、何ら平等原則に違反するものではない。
(二) 同1(二)は否認ないし争う。
2 同2は争う。本件不支給条項の新設は、従業員に永年勤続の功労を抹消してしまうほどの重大な背信行為があった場合、このような条項の存否に関わらず、当該従業員の退職金請求は権利の濫用として認められないという当然の事理を規定したにすぎない。
(乙事件)
七 請求原因
1 当事者
(一) 被告日本コンベンションは、昭和四二年一二月七日に設立され、肩書地に本社を、甲事件請求原因1(一)記載のとおり関西支社を置き、国際会議や国内学会その他種々の大きな会議の通訳、受付、諸設備等の世話、すなわちコンベンションサービス、通訳・翻訳業務、各種イベントの企画・運営、人材派遣などを業とする、資本金二億一〇〇〇万円の会社であり、平成三年三月期の年商は五三億円で、現在の従業員数は約二〇〇名である。
(二) 被告隈崎は、昭和六〇年九月一日、株式会社住友銀行(以下「住友銀行」という。)から被告日本コンベンションに出向し、同被告の取締役関西支社長に就任し、その後、住友銀行を退社して、同六一年五月二一日、被告日本コンベンションに正式に入社し、同六二年八月一二日常務取締役に就任した。被告隈崎は、関西支社長として、同支社を統括し、管理・営業全般の職務を担当し、平成元年一〇月から同二年四月まで被告日本コンベンションの代表取締役副社長を兼務した後、同二年六月二七日、取締役を退任して被告日本コンベンションを退社した。
(三) 原告吉岡は、昭和五三年四月一日、被告日本コンベンションに入社し、昭和五九年一二月から関西支社で勤務し、昭和六二年八月から関西支社次長として、支店長である被告隈崎を補佐していた。
(四) 被告コングレは、肩書地に本社(なお、同被告設立時の本社は、大阪市北区<以下、略>であり、平成三年一月二一日に大阪市北区<以下、略>に移転)を、京都市左京区<以下、略>に京都支店を、名古屋市中区<以下、略>に名古屋支店を置き、各種会議、イベントの企画・運営、通訳業務、人材派遣業等を業する資本金四〇〇〇万円(設立時一〇〇〇万円、平成二年七月二五日に現金額に増資)の会社である。
2 被告隈崎、原告吉岡らによる不法行為
(一) 被告日本コンベンションの従業員の引抜行為
被告隈崎及び原告吉岡は、平成二年五月ころから、両名が中心となって、他の原告らを含む関西支社、名古屋支店及び京都支店の従業員一〇数名とともに、これらの支社・支店で担当している業務を、被告日本コンベンションから奪い取り、自分たちで新会社を設立するという計画を立て、関西支社、名古屋支店及び京都支店の従業員らに対する引抜行為を行った。
その結果、関西支社の従業員のほとんどが、また、名古屋支店(従業員四名)及び京都支店(従業員三名)の従業員全員が、平成二年七月被告日本コンベンションを退社し、被告コングレに移った。
(二) 被告隈崎及び原告吉岡は、被告日本コンベンション在籍中であった平成二年六月二五日、被告コングレを設立し、原告吉岡は、その取締役に就任し、同年七月五日に代表取締役に就任した。
被告隈崎は、平成三年四月一日、被告コングレの代表取締役に就任し、被(ママ)告吉岡は常務取締役に就任した。
(三) 業務の引継について
(1) 被告隈崎及び原告吉岡は、関西支社の会議部門について、一部の案件の業務を引き継いだだけで、日本医学会総会を始め、多数の重要な案件を引継の対象から外し、翻訳部門も、売上計上に関する引継を行っただけで、業務の引継を行わなかった。
(2) また、名古屋支社(ママ)及び京都支社(ママ)について、備品、図書、通帳などの引継を行っただけで、業務の引継を全く行わなかった。
(四) 取引先の奪取について
(1) 前記三1(二)(1)で述べたように、被告日本コンベンションの業務内容は、取引先と従業員との間の個人的な関係により継続的に受注を得るという特性を有していることから、被告日本コンベンションは、従業員を引き抜かれたことにより、別紙四<略、以下同じ>記載のとおり、関西支社、名古屋支店及び京都支店の取引先を被告コングレに奪われた。
(2) 特に、日本医学会総会については、関西支社が、平成三年四月開催の第二三回日本医学会総会に向けて、約二年半前から従業員を派遣して準備を進めていたにもかかわらず、被告隈崎及び原告吉岡は、日本医学会総会について引継の意思のないことを明らかにし、日本医学会総会に関する業務の大半を奪った。
3 責任
(一) 被告隈崎
被告隈崎は、被告日本コンベンション関西支社を統括する取締役支社長として商法二五四条の三所定の取締役の忠実義務を負うにもかかわらず、その職務上の地位を利用し、自己の統括する従業員多数を集団的に引き抜き、不正な手段を弄して取引先を奪い、被告日本コンベンションに多大の損害を与えた。
このような被告隈崎の行為は、取締役の忠実義務に違反するとともに、民法上の不法行為に該当するから、被告隈崎は、商法二六六条一項五号により、あるいは、民法七〇九条、七一九条により、損害賠償責任を負う。
(二) 原告吉岡
原告吉岡は、被告日本コンベンション関西支社次長として被告隈崎に次ぐ地位にあり、被告日本コンベンションの幹部従業員として雇用契約上の誠実義務を負うにもかかわらず、被告隈崎とともに、その職務上の地位を利用して部下である従業員ら多数を集団的に引き抜き、不正な手段を弄して被告日本コンベンションの取引先を奪い、被告日本コンベンションに多大な損害を与えた。
このような原告吉岡の行為は、雇用契約上の誠実義務に違反するとともに、民法上の不法行為に該当するから、民法四一五条により、あるいは、同法七〇九条、七一九条により、損害賠償責任を負う。
(三) 被告コングレ
被告コングレは、被告隈崎及び原告吉岡の違法な計画に基づいて、同人らによって設立され、被告日本コンベンションから奪い取った業務及び引き抜いた従業員によって営業活動を行っているから、被告日本コンベンションの権利侵害を目的として設立され、かつ、存続している。また、被告コングレは、被告隈崎及び原告吉岡の従前の違法行為を認識し、これを積極的に利用する意図をもって両名の違法行為に加担しているから、その設立以前の両名の違法行為についても、共同して責任を負うものである。
したがって、被告コングレは、民法七〇九条、七一九条により、損害賠償責任を負う。
4 損害
(一) 関西支社翻訳部門の売上減少による損害
(1) 被告隈崎、原告吉岡及び被告コングレは、関西支社通訳翻訳課翻訳部門の従業員全員を引き抜いた上、業務の引継を一切行わず、取引先を奪ったことから、関西支社翻訳部門はほとんど受注がない状態になり、売上が激減した。
(2) 平成元年二月から同二年三月までの被告日本コンベンション関西支社通訳翻訳課翻訳部門の売上高の平均は、一か月一五六九万二七四〇円であり、粗利益(売上から外注費用及び翻訳部の人件費を控除した金額)の平均は、一か月四七七万八二六七円であった。これに対し、平成三年四月から同四年三月までの売上高の平均は、一か月一一八万〇六九四円に落ち込み、粗利益の平均も一か月五五万三七一五円に落ち込んだ。
(3) したがって、翻訳部門の売上減少による被告日本コンベンションの損害は、一か月当たり平均四二二万四五五二円で、平成二年八月以降少なくとも三年間は、損害の発生が継続するから、損害の合計は、一億五二〇八万三八七二円となる。
(二) 名古屋支社(ママ)の売上減少による損害
(1) 被告隈崎、原告吉岡及び被告コングレは、名古屋支店の従業員全員を引き抜いた上、業務の引継を一切行わなかったため、名古屋支店は閉鎖に追い込まれた。
(2) 名古屋支店の平成元年二月から同二年三月までの売上高の平均は、一か月一二九五万七〇四八円で、粗利益の平均は、一か月三五八万三九〇五円であった。
被告日本コンベンションは、平成三年一〇月に名古屋支店を再開したが、同支店の収支は赤字で、利益は上がっていない。
(3) したがって、名古屋支店の売上の減少による被告日本コンベンションの損害は、一か月当たり三五八万三九〇五円で、平成二年八月以降少なくとも三年間は損害の発生が継続するから、損害の合計は、一億二九〇二万〇五八〇円となる。
(三) 京都支社(ママ)の売上減少による損害
(1) 被告隈崎、原告吉岡及び被告コングレは、京都支店の従業員一名、契約社員二名の合計三名全員を引き抜いたため、京都支店を閉鎖せざるを得なくなり、日本内分泌学会の事務局業務も被告コングレに奪われた。
(2) 京都支店の平成元年二月から同二年三月までの売上高の平均は、一か月四九六万九一二三円で、粗利益の平均は、一か月八一万二七七七円であった。
(3) したがって、京都支店の売上の減少による被告日本コンベンションの損害は、一か月当たり八一万二七七七円で、平成二年八月以降少なくとも三年間は損害の発生が継続するから、損害の合計は、二九二五万九九七二円となる。
(四) 社会的・経済的信用の失墜による無形損害
被告日本コンベンションは、被告隈崎、原告吉岡及び被告コングレの違法行為によって、取引先や業務を奪われるといった経済的損害を被っただけでなく、取引先に対するフォローをまともに行うことができず、あたかも関西支社が事実上壊滅したかのような風評も流れ、その結果、企業としての名誉に大きな痛手を被り、取引先に対する信用も失墜した。
このような損害を金銭に見積もると、一億五〇〇〇万円を下らない。
(五) 以上、被告日本コンベンションに生じた損害の合計は、四億六〇三六万四四二四円を下らない。
5 よって、被告日本コンベンションは、被告隈崎に対し、商法二六六条一項五号ないし民法七〇九条、七一九条に基づき、原告吉岡に対し、同法四一五条ないし同法七〇九条、七一九条に基づき、被告コングレに対し、同法七〇九条、七一九条に基づき、連帯して、四億六〇三六万四四二四円の内金一億五〇〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である、原告吉岡については平成四年五月一二日、被告隈崎及び被告コングレについては平成四年五月一三日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
八 請求原因に対する認否
1 請求原因1(一)ないし(四)は認める。
2(一) 同2(一)のうち、原告吉岡が他の原告らを含む従業員一〇数名とともに、新会社の設立を計画したこと、関西支社の従業員のほとんど及び名古屋支店、京都支店の従業員全員が被告日本コンベンションを退社して被告コングレに移ったことは認め、その余は否認する。前記四1(二)(9)のとおり、近浪社長が突然、被告隈崎の関西支社長の地位を解任したことから、原告らが自主的に新会社を設立したのであり、被告隈崎が、中心となって計画的に行ったものではない。
(二) 同2(二)は認める。
(三)(1) 同2(三)(1)は否認する。被告隈崎及び原告吉岡は、積極的に業務の引継を被告日本コンベンションに求め、時には、被告日本コンベンションの弁護士も交えて引継の打ち合わせを行い、この間、会議案件だけで八八件の引継を完了している。被告日本コンベンションも、担当者が引継完了のサインをしているのであって、このことは、引継が完全に行われたことを示している。また、被告隈崎及び原告吉岡は、関西支社の翻訳部門の引継も準備していたが、翻訳部門は採算の悪い部門で、一件あたりの単価が安いことから、被告日本コンベンションは、すべての案件を引き継いでも赤字になってしまうと考え、三菱電気(ママ)、日本電装という大型の案件のみを引き継ぎ、それ以外の小口の案件について、既に仕事が完了して代金がもらえる案件だけを引き継ぐことにした。
(2) 同2(三)(2)は否認する。京都支店は、人数も少なく、地理的にも大阪に近いことから、同支店の案件はすべて関西支社と共同で、京都支店だけで抱えていた案件はなかった。そのため、京都支店の案件の引継は、関西支社の引継に含まれている。また、名古屋支店は、新設して間がなく、不採算部門であったことから、被告日本コンベンションは、同支店の案件のうち、受注済みで、直ちに売上が立つものについてのみ引継を要求したのであり、被告隈崎及び原告吉岡は、これについてもきちんと引継を行った。
(四)(1) 同2(四)(1)のうち、別紙四記載の会議案件について、被告コングレが受注したことは認め、その余は否認する。被告コングレは、コンペや被告日本コンベンションからの委託を受けるなどしてこれらの会議案件を受注したのであって、通常の営業活動によるものである。
被告日本コンベンションは、被告隈崎及び原告吉岡が被告日本コンベンションの取引先及び会議案件を奪ったと主張しているが、その主張は、奪われたとされる取引先及び会議案件をあげただけで、その具体的態様やそれによって生じた損害及びその間の因果関係について何ら具体的に主張していない。
また、被告日本コンベンションは、従業員と取引先との間の個人的な関係によって継続的に受注を得るということを前提に、被告隈崎及び原告吉岡が、従業員を引き抜くことによって取引先も奪ったと主張している。しかし、コンベンション業界では、会議が開催される都度公正なコンペが行われ、受注業者が会議ごとに決定されるのであるから、従業員と取引先との個人的な関係だけで受注を得られるわけではなく、したがって、取引先を奪うということもあり得ない。
(2) 同2(四)(2)のうち、被告日本コンベンションが従業員を派遣していたことは認め、その余は否認する。日本医学会総会は、当時まだ担当する業者が決まってなく、今後のセールスにより受注できる可能性のある案件にすぎなかったことから、被告隈崎及び原告吉岡は、「引継案件」としてではなく、「参考案件」として引継を行い、資料を引き渡すとともにこれまでの準備状況について詳細に報告している。関西支社の従業員が日本医学会総会の事務局に派遣されていたが、これは、すでに被告日本コンベンションがこの案件を受注していたからではなく、将来の受注に結びつけるための積極的なサービスにすぎない。
3 同3(一)ないし(三)は、いずれも争う。特に、被告コングレに対する損害賠償請求は、全くナンセンスな主張である。被告日本コンベンションが不法行為として主張する従業員の引抜行為や業務の引継がなされなかったということは、被告隈崎及び原告吉岡個人の行為としてしか評価できず、被告コングレが責任を負担する根拠とはなり得ない。
4(一) 同4(一)(1)のうち、売上が激減したことは知らず、その余は否認する。
同4(一)の(2)及び(3)は知らない。
(二) 同4(二)のうち、(1)は否認し、(2)及び(3)は知らない。
(三) 同4(三)のうち、(1)は否認し、(2)及び(3)は知らない。
(四) 同4(四)は、否認ないし争う。
(五) 同5(五)は争う。
(六)(1) 被告日本コンベンションは、関西支社翻訳部門、京都支店及び名古屋支店の各損害について、粗利益を基準に算出しているが、仮に被告日本コンベンションに損害が生じたとしても、このような損害の算出は明らかに不当であり、営業利益を基準とすべきである。営業利益とは、企業本来の営業活動からもたらされた利益のことであり、売上高から営業費用、すなわち売上原価、販売費及び一般管理費を差し引いた金額である。
また、被告日本コンベンションは、原告らが退職した平成二年七月からではなく翌年度からの損害を主張しているが、売上減少による損害を主張するのであれば、原告らが退職した平成二年七月から同三年三月までの損害を主張すべきである。
(2) 被告日本コンベンションは、粗利益の三年分の合計額を損害として請求しているが、被告隈崎らが退職してすでに三年以上を経過し、実際の損害額も確定しているはずである。したがって、これを損害として請求すべきところ、この点については、何ら主張も立証もない。また、特別の熟練を必要としないこの種の業務では、そもそも三年もの間損害が継続するとは考えられないから、被告隈崎、原告吉岡及び被告コングレの行為と損害との間に相当因果関係もない。
第三証拠
証拠については、本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
一1 甲事件の請求原因一1(一)(二)、同一2(一)及び同一2(二)のうちの(1)(2)(4)は、当事者間に争いはなく、同一2(二)のうちの(3)(5)も、原告横野及び同久保田の退職金算定の時期を除き、当事者間に争いはない。
2 抗弁三1(一)のうち、被告日本コンベンションの就業規則の規定の内容は当事者間に争いはない。また、同三1(二)(2)のうち、原告らがネットワークを設立したこと、同三1(二)(3)のうち、原告らが四箇所の銀行に口座を開設したこと、同三1(二)(8)のうち、原告らが在職中から被告コングレ設立の準備を進め、被告コングレを設立したこと、同三1(二)(9)のうち、就業規則の規定及び原告らが被告日本コンベンションを退職した直後から、同被告の業務地域において営業活動を行ったことは、当事者間に争いはない。
3 乙事件の請求原因七1(一)ないし(四)及び同七2(二)は、いずれも当事者間に争いはない。また、同七2(一)のうち、原告吉岡が他の原告らを含む従業員一〇数名とともに新会社の設立を計画したこと、関西支社の従業員のほとんどが、名古屋支店及び京都支店の各従業員全員が、被告日本コンベンションを退社して被告コングレに移ったことも当事者間に争いはなく、同七2(四)(1)のうち、別紙四記載の会議案件について、被告コングレが受注したことも当事者間に争いはない。
二 前記争いのない事実、成立に争いのない(証拠略)、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる(証拠略)、書き込み部分については弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められ、その余の部分については成立に争いのない(証拠・人証略)の各証言、原告本人吉岡純二、原告本人紫冨田薫、被告本人隈崎守臣の各尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認定することができる。
1(一) 被告日本コンベンションは、昭和四二年一二月、近浪社長によって設立された。
(二) 関西支社は、昭和五八年に設立され、平成二年四月一六日現在、総務課、通訳翻訳課、地域プロジェクト室、会議課及び日本医学会総会からなり、組織上は、名古屋支店及び京都支店も、関西支社の一部になっていた。また、右同日現在、原告吉岡が関西支社次長、同小倉が参事で京都支店勤務、同横野が総務課課長代理(兼会議課課長代理)、同萩原及び同久保田がいずれも会議課係長補佐、同安陵が会議課勤務、同紫冨田が総務課副主任で、従業員数は、関西支社総務課が六名、通訳翻訳課が六名、地域プロジェクト室が五名、会議課が一六名(原告横野を除く。)、名古屋支店が四名、京都支店が三名、日本医学会総会が二名であった。
(三) 被告日本コンベンションの業務は、コンベンションのサービス(会議開催の準備、当日の進行管理など)、通訳翻訳業務、各種イベントや展示会などの企画運営、人材派遣などであり、業務の受注は、会議の開催ごとにコンペが行われて受注業者が決定するという形が多いが、実際には、コンペそのものよりも、それに至る従業員と取引先との個人的な信頼関係や過去の実績などが受注に大きな影響を与えていた。
また、被告日本コンベンションの従業員は、恒常的に時間外労働に従事していたが、被告日本コンベンションは、このような時間外労働に対し、定額の勤務手当を支給しただけで、労働時間に応じた時間外賃金の支払をしていなかった。
2(一) 被告日本コンベンションは、関西支社設立当初から、東京の本社から支社長を派遣していたが、関西支社の業績を伸ばすためには、関西出身の支社長が必要と考え、メインバンクであった住友銀行に人材の派遣を求めたところ、被告隈崎を紹介された。被告隈崎は、昭和六〇年九月一日、住友銀行から出向の形で、取締役関西支社長となり、その後、昭和六一年五月二一日、住友銀行を退職して、取締役関西支社長として被告日本コンベンションに入社した。被告隈崎は、右入社後、関西方面で大規模な国際会議やイベントが開催されたこともあって、関西支社長として、関西支社の業績を順調に伸ばし、その結果、被告日本コンベンション内部において、隈崎に対する評価が高まるとともに、関西支社においても、原告吉岡や他の原告ら幹部社員の信頼を得ていた。もっとも、被告隈崎や原告吉岡は、関西支社が順調に業績を伸ばしても、本社がその利益を吸い上げ、関西支社にそれが還元されていないと考え、そのような本社の対応に不満を持っていた。
(二) 近浪社長は、被告日本コンベンション会社設立後、ほとんど手さぐりの状態の中、事業を進めた。その結果、困難を伴いながらも、順調に業績を伸ばし、それに伴って会社の規模も拡大していったが、徐々に、諸々の歪みも拡大し、事業の急成長に会社の組織面、管理面の整備が追いつかず、売掛金の管理や不良債権、子会社の整理といった経理面や、社内諸規定の整備といった組織運営面や労働条件の合理化といった人事面で、社内改革を進めることが必要な事態となっていた。
そこで、近浪社長は、平成元年ころ、会社の改革を進めるべく、銀行出身で組織管理に精通し、関西支社で順調に業績を伸ばしていた被告隈崎を改革の責任者とすることにした。
3(一) 被告隈崎は、平成元年一〇月、近浪社長から社内改革の推進を依頼されてこれを承諾し、同月二〇日、同社の常務取締役(関西支社長兼務)から代表取締役副社長(関西支社長兼務)に就任した。その際、被告隈崎は、近浪社長との間で、被告隈崎が近浪社長の主導の下、一致協力して、会社の円滑な業務執行に当たること、近浪社長のオーナーとしての権益を尊重することなどを誓約する旨の念書(<証拠略>)を取り交した。そして、被告隈崎の副社長就任に伴い、平成元年一〇月二〇日、被告隈崎と同様銀行出身の中西取締役が、被告隈崎を補佐するため管理本部長に任命され、被告隈崎とともに、経営面の最高の意思決定機関である常務会のメンバーになった。
(二) 被告隈崎は、副社長就任後、週一回くらいの割合で東京の本社に出社し、社内改革を進めるとともに、近浪社長も、平成二年二月五日、従業員に対し特別朝礼を実施して、社内改革の推進を明らかにし、その中で、同年四月から時間外労働時間数による時間外賃金の支払のための制度の実施を告げた。
被告隈崎は、常務会などにおいて、社内改革の一環として、右時間外労働時間数による時間外賃金の支払のための財源の捻出のため、近浪社長の交際費を削減したり、当時赤字であった被告日本コンベンションの子会社コンベンション・オペレイションズを整理することを提案したが、八木啓充専務取締役(当時は、平取締役。以下「八木専務」という。)らが反対し、近浪社長もこれに同調したため、常務会内部で意見が対立し、被告隈崎は、推進しようとした社内改革を進めることができなくなった。そこで、被告隈崎や中西取締役らは、社内の改革を進めるには、近浪社長が会長に退いて、会社の全権を被告隈崎らに委ねてもらう必要があると考え、その旨を近浪社長に告げるとともに、もしこれが受け入れられなければ、副社長、管理本部長を辞任する旨告げた。しかし、近浪社長は、被告隈崎らの要求を拒否したことから、被告隈崎らは、松本正毅監査役(以下「松本監査役」という。)に近浪社長への説得を依頼するとともに、平成二年四月四日付けの代表取締役副社長の辞任届を松本監査役に預けた。
(三) 近浪社長は、被告隈崎の辞任を認め、平成二年四月二五日、部門長会議においてそのことを発表するとともに、同日、被告隈崎に対し、副社長辞任届の受理を伝え、かつ、常務取締役関西支社長ではなく、取締役関西支社長にする旨を伝えた。被告隈崎は、副社長を辞任しても、前職である常務取締役関西支社長の地位にあるものと考えていたことから、この点について抗議をしたが、聞き入れられなかった。
4(一) 被告隈崎の辞任届が受理された後、原告らは、平成二年五月二四日、原告吉岡が中心となって、被告隈崎の了承の下、各種会議、イベントの企画、運営などを目的とするネットワークを設立した。ネットワークは、大阪市北区<以下、略>を本店とし、同所にあるプラザ梅新ビル内に事務所を借りていたが、このビルは、関西支社に隣接するビルであった。
被告隈崎は、ネットワークの設立について本社に何ら報告をしていなかったため、被告日本コンベンションは、当初ネットワークの設立を全く知らず、平成二年六月末になってその事実を知るに至った。
(二) 原告らは、原告吉岡らを発起人とし、発行した株式のほとんどを、被告隈崎の住友銀行勤務当時の同僚であった林喜久惠(以下「林」という。)に引き受けてもらって、前記のとおりネットワークを設立したが、林は、株式の引き受けに当たり、現実に資金の提供をしたわけではなかった。また、ネットワーク設立の具体的手続は、平成二年四月被告日本コンベンションを退社した山口朋子(以下「山口」という。)が中心となって行い、設立当時の取締役は、山口、原告小倉の知人である吉野絹子及び原告安陵で、山口が代表取締役に、林が監査役に就任した(なお、ネットワークの設立の際の発起人、取締役などの構成は、別紙五<略、以下同じ>の「ネットワーク」欄記載のとおりである。発起人は、原告吉岡、同横野、同萩原、同小倉、同久保田、林、山口であり、株式引受人は、安陵である。)。なお、原告らは、これまで株式会社を設立したことはなかった。
(三) このようにして、ネットワークは設立され、以後、被告隈崎及び原告らは、ネットワークの事務所に出入りするようになったが、既に大阪市内に同一の商号を有する株式会社が存在していたこともあって、ネットワークは、具体的な営業活動を行うことはなかった。
5(一) 原告らが平成二年五月二四日ネットワークを設立した後、近浪社長ら被告日本コンベンションの本社サイドは、被告隈崎が本社に内緒で独立しようとしていることを知り、被告隈崎に関西支社長を辞めてもらう必要があると判断した。
そこで、平成二年六月七日早朝、近浪社長、八木専務及び黒川幸史常務取締役(以下「黒川常務」という。)が、事前の連絡なしに関西支社を訪れ、関西支社会議室において、近浪社長が、被告隈崎に対し、関西支社長の解任と自宅謹慎を通告した。しかし、被告隈崎がこれに反論したことから、近浪社長と被告隈崎とが口論になり、その後、原告小倉及び同吉岡も会議室に入り、近浪社長に対し、近浪社長には付いて行けないので、会社を辞めるなどと言って、強く抗議した。
(三)(ママ) 被告隈崎を信頼する原告ら(原告安陵を除く。)は、平成二年六月七日の夜以降、今後の対応を協議した結果、被告日本コンベンションの本社に対して、新会社の設立を明らかにすることにし、同年六月九日(土曜日)及び同月一〇日(日曜日)に、「本社の皆さま」(<証拠略>)と題する文書を作成して、六月一〇日、これをファックスで本社に発信した。この文書には、原告らを含む一八名の名前が記載されていて、そのほとんどは、関西支社、名古屋支店及び京都支店の主要なポストを占める者たちであった。
更に、原告吉岡は、平成二年六月一一日、関西支社での朝礼において、従業員に対し、新会社の設立を発表するとともに、新会社に参加することを呼びかけた。前記の一八名を除き、関西支社の従業員は、原告らによる新会社設立の動きについて全く知らず、原告吉岡の発表によって初めてそのような動きがあることを知った。
(三) 原告らが新会社の設立を宣言した後、被告隈崎や関西支社次長の原告吉岡、その下で、その余の原告らは、関西支社、名古屋支店及び京都支店の従業員に対し、新会社に参加するよう勧誘するとともに、事務所を探したり、関西支社の書類や物品を持ち出すなどして、新会社設立のための準備行為も積極的に行うようになった。
6 近浪社長ら本社サイドは、原告らの新会社設立宣言に衝撃を受け、事態の収拾を図るため、平成二年六月一一日、黒川常務を支社長代行(支社長は近浪社長が兼務)として関西支社に赴任させることにし、平成二年六月一二日、黒川常務は、コンベンション・イベント企画推進室の脇田洋二副主任及び博覧会プロジェクト室の吉原政明係長補佐とともに、関西支社に赴いた。また、近浪社長も、平成二年六月一三日、八木専務、芹田貢相談役(以下「芹田相談役」という。)及び西林経博弁護士(以下「西林弁護士」という。)とともに、再び関西支社を訪れ、被告隈崎に対し改めて支社長の解任を通告するとともに、原告らを説得しようとしたが、原告らの反発を受けるだけであった。
近浪社長や黒川常務らは、事態が深刻な状態であると判断し、本社において対策を協議するため、八木専務を関西支社に残して、いったん帰京した。
7(一) 黒川常務は、平成二年六月一八日、小池富雄次長及び芹田相談役とともに、関西支社を訪れ、通訳翻訳課の宮脇昭好に対し、当時関西支社が担当していた案件を把握するため、担当している案件の一覧表を作成するよう指示した。また、黒川常務は、被告隈崎や原告吉岡らに対し、関西支社が担当している業務全体の引継をするよう申し入れたが、被告隈崎や原告吉岡らは、業務を引き継ぐ具体的な担当者が来ていないとして、これに反論した。
(二) 翌一九日、原告吉岡が、同日付けの「引き継ぎ委員会(仮称)開催の件」と題する文書(<証拠略>)を西林弁護士宛にファックスで送付してきたことから、平成二年六月二一日、関西支社会議室で業務の引継の概括的な方針やスケジュールの調整を行うための打ち合わせが行われた。この打ち合わせには、本社から八木専務、黒川常務、佐藤覚会議事業部長(以下「佐藤部長」という。)、平間孝一国際会議副部長(以下「平間副部長」という。)及び柳村幸宏弁護士(以下「柳村弁護士」という。)が出席し、関西支社からは、被告隈崎、原告吉岡、同横野、同小倉及び同萩原が出席した。
この時、被告隈崎や原告吉岡は、緊急の引継案件を文書で提示し、早急に引継担当者を決めてもらいたい旨申し入れたが、八木専務らは、引継案件の緊急度や引継の全体がわからなければ、具体的な担当者を決めることができないと回答した。また、八木専務は、関西支社の退職予定者を明らかにするよう求め、被告隈崎はこれを了承した。
その後、被告隈崎ができるだけ早く引継を行いたい旨申し入れたところ、八木専務は、六月二五日から引継に取りかかる旨回答した。この打ち合わせ終了後、原告横野が佐藤部長及び平間副部長に対して、前記緊急引継案件についての説明を行った。
(三) 平成二年六月二五日、業務引継のための打ち合わせが行われ、本社からは、八木専務、佐藤部長、平間副部長、西林弁護士及び柳村弁護士が出席し、関西支社からは被告隈崎と原告吉岡が出席した。
この打ち合わせも、引継の方針など概略的なもので、この時も、本社サイドは業務全体の引継を求めたが、被告隈崎は、クライアントの意向や関西支社が開拓した業務であることを理由に、後述する日本医学会総会など一部の業務について新会社で行う意向を示した。
(四) 翌二六日、支社長室と会議室とで引継の打ち合わせが行われた。支社長室での引継には、本社から八木専務及び柳村弁護士が出席し、関西支社から被告隈崎が出席した。また、会議室での引継には、本社から黒川常務、佐藤部長、平間副部長外三名が出席し、関西支社から原告横野、同紫冨田、同萩原、同小倉及び佐藤廣道が出席した。
支社長室では、今後の引継についての打ち合わせがなされ、八木専務が業務全体の引継を求めたところ、被告隈崎は、クライアントの意向を理由に、業務の一部を新会社で行う旨を示し、両者の話し合いは平行線のままであった。
会議室では、実務的な引継がなされていたが、そこでの引継は、原告らが会議案件に関する資料のファイルを配布して各案件ごとにその担当者、案件の内容、進行状況などを説明し、佐藤部長らが一件ごとに主催者、その担当者、会議の開催日、請求書を出しているかどうかなどについてチェックをするという形でなされた。
(五) 翌二七日も、実務的な引継がほぼ前日と同様の出席者で行われ、その後、七月三日及び同月一三日にも関西支社の会議案件について引継がなされた。
(六) 以上により、関西支社が担当していた会議案件の引継は、一応区切りがついたが、これ以外の関西支社の業務について引継はなされず、また、名古屋支店及び京都支店についても、平成二年七月一三日、事務用品や図書などの引継がなされただけで、業務の引継はなされなかった。もっとも、これら引継のなされていない業務として、どのようなものがあるのかは明らかではなく、被告日本コンベンションも、関西支社、名古屋支店及び京都支店の業務すべてを引き継ぐような人員態勢を取っていなかった。
なお、被告日本コンベンションは、平成二年六月二九日、原告らに対し、文書で業務引継命令を発した。
8(一) 日本医学会総会は、四年に一度開催される医学の学術総会で、被告日本コンベンションは、昭和四六年の第一八回総会以来、毎回その運営を受注していた。日本医学会総会は、京都大学医学部の中に準備事務局を設置し、被告日本コンベンションは、従業員を準備事務局に派遣していた。すなわち、日本医学会総会の仕事には、事務局の運営業務、登録業務及び会議の運営業務があり、被告日本コンベンションは、事務局の運営業務の委託を受け、従業員であった中谷努(以下「中谷」という。)を事務局長として派遣するとともに、登録業務の委託も受け、原告久保田をその責任者とし、準備事務局の登録室で行われる実際の登録業務について、従業員数名を派遣していた。これに対し、会議の運営業務については、コンペによって受注業者が決まり、原告らが新会社設立宣言をしたときは、まだ計画書を提出した段階で、受注業者は決定していなかった。
(二) 原告らは、引継案件のリストを作成する段階から、日本医学会総会を参考案件とし、その後の引継の際も、参考案件として引継をしただけであった。また、被告隈崎も、引継の打ち合わせの際、本社サイドから日本医学会総会について尋ねられたのに対し、新会社で業務を行う意向を示した。
(三) その後、日本医学会は、被告日本コンベンションと被告コングレに対し、プレゼンテーションを実施し、両被告に対して業務を委託したが、これまで日本医学会総会の業務を担当していた従業員のほとんどが、被告コングレに移ったこともあって、結果的に、被告コングレがより多くの業務を受注することになった。
9 原告らは、平成二年六月二五日、被告コングレを設立し、原告吉岡、同萩原及び林が取締役に(代表取締役は林)、原告横野が監査役に就任した(なお、被告コングレの設立の際の発起人、取締役等の構成は、別紙五の「被告コングレ」欄記載のとおりである。発起人は、原告吉岡、同萩原、同小倉、同久保田、林、山口、同安陵であり、株式引受人は、原告横野である。)。その後、原告吉岡は、平成二年七月五日、代表取締役に就任した。なお、被告コングレの資本金は、設立当初一〇〇〇万円であったが、設立直後の平成二年七月二五日、四〇〇〇万円に増資された。
10 原告らは、平成二年六月一一日付けで、被告日本コンベンションに対し、退職の意思を明らかにし、退職日として、平成二年七月一五日を指定した。これに対し、被告日本コンベンションは、平成二年七月一一日に、同月一三日付けもって本件解雇をする旨意思表示をした。
被告隈崎は、平成二年六月二七日、取締役の任期満了により被告日本コンベンションを退社した。そして、被告隈崎は、平成三年四月一日、原告吉岡に代わって、被告コングレの代表取締役に就任したので、原告吉岡は、常務取締役に就任した。
11 原告らの勧誘行為により、関西支社の幹部など主要メンバーのほとんどと通訳翻訳課の翻訳部門の全従業員並に名古屋支店及び京都支店の全従業員の合計四〇名が被告日本コンベンションを退社したため、従業員のいなくなった名古屋支店及び京都支店は閉鎖となり(なお、名古屋支店については、平成三年一〇月に営業が再開された。)、関西支社の通訳翻訳課の翻訳部門も、従業員がいなくなったため、閉鎖同様の状態になった。
これに対し、被告コングレは、平成二年七月一六日から営業を開始したが、関西支社の幹部などの主要メンバーのほとんどと通訳翻訳課の翻訳部門の全従業員並に名古屋支店及び京都支店の全従業員の四〇名が同被告に移籍したことから、従来、関西支社、名古屋支店及び京都支店で扱っていた業務を同被告が受注するようになり、被告日本コンベンションも、関西地区での業務の遂行が困難になったことから、止むなく受注した業務を被告コングレに委託するなどした。
(甲事件について)
三1 前記のように、原告吉岡、同小倉及び同萩原の退職金額及び右算定の基礎となる事実は、当事者間に争いがない。これに対し、原告横野及び同久保田については、退職金算定の時期の点について争いがあるので、この点について検討する。
2(一) (証拠略)によれば、被告日本コンベンションの就業規則第五条一項は、「新たに採用した者については、採用の日から最低三か月間を試用期間とし、」と規定し、同条三項は、「試用期間は勤続年数に通算する。」と規定している。また、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる(証拠略)によれば、被告日本コンベンションの退職給与規定一三条は、退職金算定の基礎となる勤続年数につき、「勤続年数は採用の月より退職発令の月までとする。」と規定している。そして、これらの条項からすると、退職給与規定一三条にいう「採用の月」とは、試用期間を経て正社員として採用された月を意味し、ただ、就業規則五条三項により、試用期間中も勤続年数に通算されることから、結果的に試雇用員として採用された時以降が、退職金算定の基礎になる。
そして、成立に争いのない(証拠略)、原本の存在成立とも争いのない(証拠略)、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる(証拠略)によれば、原告横野は、昭和五八年一月五日、被告日本コンベンションに入社し、同年四月一日、試雇用員として採用されたことを認めることができる。また、成立に争いのない(証拠略)、原本の存在成立とも争いのない(証拠略)、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる(証拠略)によれば、原告久保田は、昭和六〇年九月一六日被告日本コンベンションに入社し、同年一一月一六日試雇用員として採用されたことを認めることができる。
したがって、原告横野については、昭和五八年四月一日から、また、同久保田については、昭和六〇年一一月一六日から、それぞれ退職金を算定すべきである。
(二) これに対し、原告横野は、入社した昭和五八年一月五日から、また、同久保田も、入社した昭和六〇年九月一六日から、それぞれ退職金を算定すべきであると主張する。しかし、前記のように、被告日本コンベンションの就業規則では、入社した時点ではなく、試雇用員として採用された時点から、退職金算定の基礎となる勤続年数が計算されているし、(証拠略)も、右原告両名の入社時期を示すだけで、この時両名が試雇用員であったことを示しているわけではなく、他に右事実を認めるに足る証拠もない。
したがって、右原告両名の右主張は理由がない。
3 以上から、原告吉岡らの退職金は、同吉岡が三七四万六〇〇〇円、同小倉が四九三万五〇〇〇円、同横野が一〇六万八〇〇〇円、同萩原が一〇一万三〇〇〇円、同久保田が三三万四〇〇〇円となる。
四 抗弁(本件不支給条項の適否)について
1 原告らの懲戒解雇事由の有無について
(一) 従業員の引抜行為
(1) 前記二5(三)で認定したように、被告隈崎の指揮の下、原告吉岡を中心として、原告らが被告日本コンベンションに在職中関西支社、名古屋支店及び京都支店の従業員に対し、新会社に移るよう勧誘したことを認めることができる。もっとも、個々の原告らの具体的な勧誘行為の内容は、必ずしも明らかではない。しかしながら、原告らは、いずれも、新会社設立に当たり、発起人となるなど重要な役割を演じていることからみて、被告隈崎指揮の下、原告ら関(ママ)西支社、名古屋支店及び京都支店の従業員に対し、積極的に勧誘行為をしたと断定して差し支えがないというべきである。
(2) この点、被告日本コンベンションは、勧誘に際して原告らが、上司としての圧力をもって、場合によっては有無をいわさず強要に近い形で引抜行為を行ったと主張し、(証拠略)によれば、右主張に沿う記載がある。
しかし、右記載は、あいまいで推測の域を出ず、むしろ(証拠・人証略)によれば、原告らが熱心に勧誘を行っていたことは認められても、上司の地位を利用したり、強要するといった勧誘はしていないことが認められるのであって、被告日本コンベンションの右主張を認めるに足る証拠はない。
(3) これに対し、原告らは、従業員に対して勧誘行為を行ったことはなく、新会社の設立を宣言した後、他の従業員も自ら積極的に新会社に移ることを申し出た旨主張し、(証拠・人証略)の結果によれば、右主張に沿う記載及び供述がなされている。
しかし、原告らを含む一八名が、平成二年六月一一日に新会社設立を宣言するまで、他の従業員は、原告らの新会社設立について全く知らなかったのであるから、原告らの新会社設立宣言によって、従業員の間に動揺が広がったと考えられ、原告らが主張するように積極的に新会社に移ることを申し出たとは容易に考えにくい。また、このような状況の下、短期間の間に関西支社の主要メンバーのほとんどと通訳翻訳課の翻訳部門の全従業員並びに名古屋支店及び京都支店の全従業員が被告コングレに移っていることからすると、原告らの積極的な勧誘なくしてこのような状況は生じえないと考えられる。
したがって、この点に関する右記載及び証言部分は採用しない。
(4) 以上によれば、原告らがその在職中積極的に関西支社、名古屋支店及び京都支店の従業員に対し、新会社に移るよう勧誘したことにおいて、就業規則三二条、三三条八号、三八条二号ないし四号に該当するということができる。
(二) ネットワークの設立
(1) 原告らは、被告隈崎の指示によりネットワークを設立し、成立に争いのない(証拠略)によれば、関西支社が本社に対し、ネットワークに対するスタッフ料の支払として、六三万三四五〇円を請求していること、その後、平成二年六月二六日、原告横野が右請求を撤回したことを認めることができる。
(2) 被告日本コンベンションは、原告らが被告コングレの設立資金を作るためネットワークを設立し、関西支社が行っていた業務の一部を無断でネットワークに移管したと主張しているが、前記二4(三)で認定したように、ネットワークは何ら営業活動を行っていないのであるから、関西支社の業務の一部をネットワークに移管したとは考えられず、他に右事実を認めるに足る証拠はない。また、関西支社が本社に対して、ネットワークに対する支払の請求をした事実はあるが、この事実のみをもって被告コングレの設立資金を作るためネットワークを設立したとまではいえず、他に右事実を認めるに足る証拠はない。
もっとも、平成二年六月七日近浪社長が突然関西支社を訪れたのは、新会社設立の動きを知ったからであること、ネットワークはそれ以前に設立されていること、この時、原告吉岡らは直ちに今後の対応を協議し、新会社設立を宣言することを決めていること、ネットワークの設立について、被告日本コンベンションはその存在を全く知らず、設立に際し何ら資金を提供していないこと、といった事実からすると、平成二年六月七日以前に、原告らの間で新会社を設立する動きがあったと推認することができ、ネットワークもこのような動きに関連して設立されたものと考えられる。
(3) これに対し、原告らは、原告安陵の仕事量を減らすため、ネットワークを設立したと主張し、成立に争いのない(証拠略)、被告隈崎及び原告吉岡の各尋問の結果には右主張に沿う記載及び供述がある。しかし、ネットワークを設立しても、そこでの仕事内容に変わりはないのであるから、会社を代わったからといって仕事量に変化が生じるとは考えられず、これらの記載及び供述内容は極めて不自然であって、この部分は、到底採用することはできない。
(4) このように原告らは、新会社の設立に関連してネットワークを設立しているが、これにより、被告日本コンベンションの業務にどのような影響があったのかは明らかではないから、原告らの行為をもって、懲戒事由に当たるとまではいえない。
(三) 隠し口座の開設
原告らは、四箇所の銀行に口座を開設していたが、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる(証拠略)によれば、いずれも普通預金口座で、関西支社名義で口座が開設された事実を認めることができる。そして、(証拠略)及び被告隈崎の尋問の結果によれば、コンベンション業務を遂行するに当たり、種々の理由から、会社名義の普通預金口座を開設する必要性が認められ、被告日本コンベンションの常務会運営細則でも、このことを考慮して当座預金の開設以外常務会の承認を必要とされていないことが認められる。更に、成立に争いのない(証拠略)によれば、これらの口座に入金されていた金員は、平成二年八月八日被告日本コンベンションに引き渡されたことを認めることができる。
してみると、被告日本コンベンションが主張するように、原告らが、無断でこれらの口座を開設したとか、被告日本コンベンションに引き渡すべき金員を不法に領置したとはいえない。
(四) 被告日本コンベンションの資産、書類、物品などの持ち去り
(1) 前記二5(三)で認定のとおり、原告らは、それぞれ被告コングレに移るに際し、関西支社で保管する請求書などの書類や物品などを持ち出したことが認められる(もっとも、原告らのうち、具体的に、誰が、どのような資産、書類、物品などを、どの程度持ち出したかは明らかでない。)。
被告日本コンベンションは、原告らが証拠を隠滅するため、資産、書類、物品などを廃棄したと主張するが、右事実を認めるに足る証拠はない。
(2) 原告らの前記行為は就業規則一六条、三一条一項、三二条、三三条二号、五号、六号、三八条二号、四号、七号に該当するということができる。
(五) 業務の引継を行わず、あるいは引き延ばした行為
(1) 前記二7で認定したように、原告らは、新会社設立宣言後退職するまでの間、関西支社の業務のうち、一部の会議案件について業務の引継を行っているが、これ以外の関西支社の業務(特に翻訳部門)について引継はなされてなく、名古屋支店及び京都支店の業務についても、備品などの引継がなされただけで、業務の引継はなされていない。
一方、八木専務や黒川常務は、引継の打ち合わせの際、被告隈崎や原告吉岡に対し、業務全体の引継を求めているが、ここでいう業務全体の引継というのが、どのような内容を意味するのかは不明であり、しかも、被告日本コンベンションは、関西支社、名古屋支店及び京都支店の業務すべてを引き継ぐような人員態勢を取っていない。また、引継のなされていない関西支社(特に翻訳部門)、名古屋支店及び京都支店の各業務についても、引き継ぐべき業務としてどのようなものがあったかは明らかではない。
してみると、原告らが行うべき引継の内容が明らかではなく、これらの事実だけでは、原告らが業務の引継を行わなかったとまではいえない。
(2) 更に、被告日本コンベンションは、原告らが業務の引継を引き延ばしたと主張するが、これを認めるに足る証拠はない。
(六) みだりに職場を離脱し、新会社のための活動を行ったこと
前記のように、原告らが被告日本コンベンション在職中にネットワーク及び被告コングレを設立したことからすれば、原告らが被告日本コンベンション在職中に、新会社設立のための活動を行ったと考えられ、そのために職場を離脱したことが考えられるが、具体的に誰がどのような形で職場を離脱したのかは明らかではなく、それが本来の業務にどの程度影響したのかも明らかではない。
したがって、右事実のみでは、就業規則上の懲戒事由に該当するとまではいえない。
(七) 取引先に対する虚偽の事実
被告日本コンベンションは、原告らが被告日本コンベンションが倒産したとか、被告日本コンベンションの業務が被告コングレに引き継がれたとか、被告日本コンベンションが社名を変更して被告コングレな(ママ)ったなど虚偽の事実を述べて取引先を欺罔したと主張し、(証拠略)によれば、右主張に沿う記載がある。
しかし、これらの記載では、どのような状況の下で、誰がどのようなことを取引先に対して述べたのかが不明で、これをもって右事実を認めることはできず、他に右事実を認めるに足る証拠はない。
(八) 被告コングレの設立
前記認定のとおり、原告吉岡を除くその余の原告らは、被告隈崎や原告吉岡らの指揮の下、被告日本コンベンションと同種の事業を営む新会社設立を企図して、被告日本コンベンション在職中から従業員に対し新会社に移るよう積極的に勧誘するなどして、被告コングレ設立の準備を進め、平成二年六月二五日被告コングレを設立したことが認められるが、原告らの右行為は、職場秩序を乱すものとして、就業規則三〇条二項、三二条、三八条二号及び同条四号に該当するということができる。更に、被告日本コンベンションは、原告らが在職中に被告コングレの営業活動を開始したと主張するが、右事実を認めるに足る証拠はない。
(九) 競業避止義務違反
(1) 就業規則三一条二項によれば、被告日本コンベンションの従業員は、退職後二年間、会社の業務地域において、その従業員が勤務中に担当した業務について、会社と競合して営業を営むことができないと規定している。
一般に、労働者は、労働契約が終了すれば、職業選択の自由として競業行為を行うこともできるのであるから、労働契約が終了した後まで競業避止義務を当然に負うものではない。しかし、他方、使用者は、労働者が使用者の営業秘密に関わっていた場合、自己の営業秘密を守るため、退職後も労働者に競業避止義務を課す必要があり、就業規則で、このような規定を設けることにも、一応の合理性が認められる。
したがって、従業員に対し、退職後一定期間競業避止義務を課す規定も有効と考えるべきであるが、その適用に当たっては、規定の趣旨、目的に照らし、必要かつ合理的な範囲に限られるというべきである。そして、この点を判断するに当たっては、これによって保護しようとする営業上の利益の内容、殊に、それが企業上の秘密を保護しようとするものか、それに対する従業員の関わり合い、競業避止義務を負担する期間や地域、在職中営業秘密に関わる従業員に対し代償措置が取られていたかどうかなどを考慮すべきである。
(2) 被告日本コンベンションは、原告らが被告日本コンベンションを退職した後、直ちに被告コングレに就職して、被告日本コンベンションに在職中と同様の業務を行っていることをもって、右就業規則に違反する旨主張する。
前記二1(二)で認定したように、コンベンション業務は、取引先と従業員との個人的な関係により継続的に受注を得るという特質を有しているため、退職した従業員に対し、一定期間競業避止義務を課すことは、従来の取引先の維持という点で意味がある。しかし、このような従業員と取引先との信頼関係は、従業員が業務を遂行する中で形成されていくもので、従業員が個人として獲得したものであるから、営業秘密といえるような性質のものではない。また、このような従業員と取引先との個人的信頼関係が業務の受注に大きな影響を与える以上、使用者としても、各種手当を支給するなどして、従業員の退職を防止すべきであるが、前記二1(二)で認定したように、被告日本コンベンションは、従業員が恒常的に時間外労働に従事していたにもかかわらず、一定額の勤務手当を支給しただけで、労働時間に応じた時間外手当を支給していなかったのであるから、十分な代償措置を講じていたとは言えない。かかる状況の中にあっては、被告日本コンベンションは、単に、従業員を引き止めるための手段として、従業員に対し、競業避止義務を課しているに等しいと言える。
したがって、以上によれば、原告らが被告日本コンベンションを退職して、同種の事業を営む会社に勤めたとしても、これによって、被告日本コンベンションの営業上の秘密が他の企業に漏れるなどの事態を生ぜしめるものでないし、原告らの退職により、取引先からの業務の受注に大きな影響を与える結果となるとしても、それは、従業員と取引先との個人的信頼関係の強い事業を営んでいることに起因するのであるから、本来、被告日本コンベンションにおいて、十分な代償措置を採った上、転出等を防止するべく万全の措置を講じておくか、右措置を採らないのであれば、自ら、これを受認(ママ)すべきものというべきであるので、右就業規則の規定は、原告らのような退職者には適用がなく、原告らの退職後の右行為をもって就業規則違反ということはできないというべきである。
(2)(ママ) なお、被告日本コンベンションは、原告吉岡、同横野、同久保田、同萩原、同安陵及び同小倉との間で、右就業規則の規定とは別に、競業禁止契約(<証拠略>)を締結しているから、右原告らの行為は、この契約にも違反する旨主張するが、仮に、このような競業禁止契約が締結されているとしても、その適用に当たっては、就業規則の場合と同様に制限的に考えるべきであるから、右原告らの行為をもって、競業禁止契約に違反するものとはいえない。
(一〇) 以上によれば、原告らは、被告日本コンベンションを退社して被告日本コンベンションと同種の事業を営む新会社を設立するため、関西支社、名古屋支店及び京都支店の従業員を勧誘して、平成二年六月二五日被告コングレを設立し、また、関西支社の書類や物品などを持ち出した点において、懲戒解雇事由に該当する。
2 不支給条項による退職金不支給の可否
ところで、被告日本コンベンションは、平成二年五月三〇日、就業規則中に本件不支給条項を有効に新設したと主張するが、この点、(人証略)は、平成二年五月三〇日、本件不支給条項を新設したとしながら、現実に、右規程を周知させたのは、平成二年七月末ころであり、これを労働基準監督署に届け出たのは、同年七月ころであり、右新設に当たり、労働者一名から意見を聴取したのみで、労働者の過半数を代表する者の意見を聴取していないと供述するところであって、本件不支給条項が平成二年五月三〇日に新設されたというには、右の各手続の履践が相当に遅れており、また、その手続の履践の程度も十分ではないところであり、これに、平成二年五月三〇日に本件不支給条項を新設したとする裏付けが十分でないことをも考慮するとき、(人証略)の、平成二年五月三〇日、本件不支給条項を新設したとの前記供述は措信し難く、他に被告日本コンベンションの前記主張を認めるに足る証拠はない。したがって、本件不支給条項が平成二年五月三〇日に有効に新設されたということはできない。その結果、本件不支給条項は原告らが本件解雇の意思表示をした平成二年七月一一日以降に作成された可能性を否定することはできない。したがって、被告日本コンベンションが原告らに対してした本件解雇が有効であるとしても、右のとおり、本件不支給条項が右解雇の意思表示を発する以前に有効に新設されたということができない以上、右解雇を理由に、退職金を不支給とすることは、その根拠を欠き、許されない。
以上、被告日本コンベンションは、原告らの退職金を不支給とすることはできない。
なお、仮に、本件不支給条項が有効に新設されたとしても、以下のとおり原告吉岡を除く原告らにつき、本件不支給条項を適用することはできない。もっとも、この場合、原告吉岡については、本件不支給条項が適用されるべきである。
(一) 被告日本コンベンションの退職給与規程(<証拠略>)によれば、退職金の支給額は、退職時の基礎賃金と勤続年数によって決まり、支給条件や支給額について裁量の余地がほとんどないことからすると、被告日本コンベンションの退職金制度は、一定期間継続的に勤務したことに対する賃金としての面を有しているということができる。ところで、本件不支給条項は、退職金の一部の不支給のみならず、全額の不支給をも規定しているが、右のような被告日本コンベンションの退職金制度に照らせば、退職金全額の不支給は、労働者の権利に重大な影響を与えるものであるから、単に懲戒解雇事由があるというだけで、退職金全額の不支給が認められるわけではなく、更に、そのことが、労働者のこれまでの功績を失わしめるほどの重大な背信行為と評価されることを要するというべきである。
(二) 前記のとおり、原告らは、被告日本コンベンション関西支社、名古屋支店及び京都支店の従業員を勧誘し、新会社設立の準備行為を行うとともに被告コングレを設立し、関西支社の書類や物品などを持ち出したことが認められる。
しかし、既に述べたように、原告らが従業員を勧誘する際、その地位を利用したり、強要するなどの不正な手段を用いた事実はない。また、新会社設立の準備行為を行ったことや関西支社の書類や物品を持ち出したことについても、このような行為自体認めることはできるものの、個々の原告らの具体的な行為の内容は明らかではない。更に、コンベンション業務では、従業員と取引先との個人的な信頼関係が業務の受注に大きな影響を与えているが、被告日本コンベンションは、このような信頼関係の重要性を認識しながら、従業員の恒常的な時間外労働に対し、一定額の勤務手当を支給しただけで、労働時間に応じた時間外手当を支給するなどして、従業員の退職を防止する措置を講じていなかったのであるから、従業員が退職したことにつき、被告日本コンベンションの人事管理に問題がなかったとはいえない。
もっとも、原告らのうち、原告吉岡は、被告日本コンベンション関西支社の次長という要職にあった者であり、その在職中、被告隈崎の下で、いわば実戦部隊の中心となって、被告日本コンベンションから独立して被告日本コンベンションと同種の事業を営む新会社を設立することを計画し、平成二年五月二四日ネットワークを設立するとともに、平成二年六月七日の新会社設立宣言以後、従業員の勧誘や平成二年六月二五日の被告コングレの設立などを積極的に行い、その結果として、被告日本コンベンションの業務を混乱させるなどしたのであるから、その果たした役割の大きさと行為の内容及び態様からみて、その余の原告らとは、同一に論じえないというべきである。その余の原告らは、被告隈崎及び原告吉岡の指揮の下で、従たる役割を演じたにすぎないというべきである。
してみると、原告らの行為が、懲戒解雇事由に当たるとしても、右行為は、原告吉岡を除くその余の原告らに関する限り、これまでの功績を失わしめるほどの重大な背信行為とまではいえず、右原告らについて、本件不支給条項を適用して、退職金を支給しないとすることはできない。これに対し、原告吉岡については、前記認定の事実に鑑みれば、その行為は、これまでの功績を失わしめるほどの重大な背信行為というべきであるので、本件不支給条項を適用して、退職金を支給しないこととなっても、やむを得ないというべきである。
五 抗弁(権利濫用の主張)について
被告日本コンベンションは、原告らに悪質な背信行為がある以上、同人らの退職金請求は、権利の濫用であると主張する。しかし、既に述べたように、原告吉岡を除くその余の原告らの行為をもって、これまでの功績を失わしめるほどの重大な背信行為とまではいえない以上、右原告らの退職金請求が権利の濫用に当たるということもできない。しかしながら、原告吉岡については前記のとおり、その行為は、これまでの功績を失わしめるほどの重大な背信行為というべきであるので、同人の退職金請求は、権利の濫用に当たるというべきである。したがって、原告吉岡は、被告日本コンベンションに対し、退職金を請求することはできない。
六 以上、原告吉岡を除くその余の原告らの退職金請求に対する被告日本コンベンションの抗弁はいずれも理由がない。これに対し、原告吉岡の退職金請求に対する被告日本コンベンションの抗弁は理由がある。
七 (原告らの慰謝料請求について)
原告らは、本件解雇が原告らに対する報復目的でなされ、懲戒権を濫用する違法な行為であると主張する。
しかし、既に述べたように、原告らの行為は、懲戒解雇事由に該当するのであるから、特段の事情がない以上、本件解雇が報復目的でなされたとはいえず、本件において右特段の事情を認めるに足る証拠はない。
したがって、本件解雇は違法なものとはいえず、その余の点を判断するまでもなく、原告らの慰謝料請求は理由がない。
(乙事件について)
八 被告隈崎の責任
1 前記認定のとおり原告らは、平成二年六月七日新会社設立宣言をした後、関西支社、名古屋支店及び京都支店の従業員に対し、新会社に移るよう勧誘し、被告日本コンベンションと同種の事業を営む新会社設立の準備を進めて、同月二五日被告コングレを設立し、被告日本コンベンションを退社した直後から被告コングレの従業員として活動を開始したということができる。
そして、前記二で認定した事実からすると、このような原告らの行為は、被告隈崎が被告日本コンベンションからの独立を計画し、原告吉岡とともにその計画を遂行する中で行われたものと推認することができる。
(一) すなわち、前記認定のとおり、被告隈崎は、関西支社の業績を伸ばしたにもかかわらず、その利益が関西支社に還元されていないことに不満を持っていた中で、近浪社長から被告日本コンベンションの社内改革を委ねられたが、近浪社長や八木専務の反対により改革を推進することができず、代表取締役副社長を辞任することになり、しかも、その際、自己の予想に反して、常務取締役ではなく平取締役にされた。また、被告隈崎は、関西支社で順調に業績を伸ばした実績があり、原告吉岡以下関西支社の幹部社員から多大の信頼を受けていた。
このような事実からすると、被告隈崎が、代表取締役副社長の辞任が受理された後、被告日本コンベンションから独立して新会社を設立することを計画したとしても何ら不自然ではない。
(二) 前記認定のとおり、被告隈崎の代表取締役副社長の辞任が受理された後、ネットワーク及び被告コングレが設立されたが、いずれの際も、被告隈崎の住友銀行当時の知人である林が、株式を引き受けるなどして設立に関与し、しかも、林は、現実に資金を拠出したわけではなく、名目的な存在であった。また、被告コングレは、設立当初資本金が一〇〇〇万円であったが、わずか一か月後に四〇〇〇万円に増資している。このように、短期間に多額の資金を調達できるのは、被告隈崎以外には考えられず、したがって、被告コングレの設立に至る一連の経過は、被告隈崎の関与なくしてはありえない。
(三) 前記四1(二)(2)で認定したように、近浪社長が被告隈崎の関西支社長解任を通告した平成二年六月七日以前に、原告らは新会社の設立を計画していたと認められるが、この段階で新会社の設立を計画するとすれば、原告らの地位や経験、(一)で述べたことからすると、その中心人物として被告隈崎以外には考えられない。
(四) 以上、被告隈崎は、平成二年四月四日、代表取締役副社長の辞任届けが受理された後、被告日本コンベンションから独立して新会社を設立しようと考え、いわば影の指揮官として、自らは背後にあって、当時、関西支社のナンバー2であった次長の原告吉岡やその他の原告ら関西支社の幹部社員を勧誘して被告日本コンベンションと同種の事業を営む新会社の設立を計画し、以後、その指揮の下、原告らが中心となって、平成二年五月二四日ネットワークを設立するとともに、平成二年六月七日の新会社設立宣言以後、従業員の勧誘や平成二年六月二五日の被告コングレの設立などを積極的に行ったものと推認することができる。そして、このような被告隈崎の行為は、被告日本コンベンションの業務とその機能を阻害するもので、取締役の忠実義務(商法二五四条ノ三)に著しく違反するものである。
2 これに対し、被告隈崎は、同人が被告日本コンベンションの社内改革を実行しようとしたにもかかわらず、近浪社長の反対によりそれが果たせず、しかも、平成二年六月七日、近浪社長が突然関西支社を訪れ、被告隈崎の関西支社長を解任したことから、原告らが、近浪社長のワンマン経営に反発して、新会社を設立しようとしたのであって、被告隈崎が中心となって計画的に行ったものではない旨主張する。
しかし、原告らの被告隈崎に対する信頼が大きかったとしても、被告隈崎が突然解任されたからといって、そのことから直ちに新会社を設立するというのは、余りに不自然であるし、既に述べたように、それ以前から原告らは、新会社の設立を計画していたと見るべきであるから、右主張を認めることはできない。
九 原告吉岡の責任
前記認定のように、原告吉岡は、被告日本コンベンション関西支社の次長の地位にあったものであるが、その在職中、被告隈崎の指揮の下で、その中心となって、その余の原告らとともに、被告日本コンベンションから独立して被告日本コンベンションと同種の事業を営む新会社を設立することを計画し、平成二年五月二四日ネットワークを設立するとともに、平成二年六月一一日の新会社設立宣言以後、従業員の勧誘や平成二年六月二五日の被告コングレの設立などを積極的に行い、その結果、被告日本コンベンションの業務とその機能を混乱させるなどしたのであるから、このような原告吉岡の行為は、雇用契約上の誠実義務に著しく違反するものというべきである。
一〇 被告コングレの責任
被告日本コンベンションは、被告コングレが被告隈崎及び原告吉岡の違法な計画に基づいて設立され、被告日本コンベンションから奪いとった業務及び引き抜いた従業員によって営業活動を行い、被告日本コンベンションの権利侵害を目的として設立、存続していることをもって、違法な行為であると主張し、また、被告コングレが被告隈崎及び原告吉岡の従前の違法行為を認識し、これを積極的に利用する意図をもって両名の違法行為に加担しているから、設立以前の両名の違法行為についても責任を負うと主張している。
しかし、被告コングレの設立や存続そのものを違法とすることはできず、また、被告コングレの設立以前の行為について、被告コングレが責任を負うものでもないから、いずれの主張も失当であるといわざるを得ない。
したがって、被告コングレについて違法行為を認めることはできない。
一一 被告日本コンベンションの損害
1(一) 被告日本コンベンションは、被告隈崎及び原告吉岡の行為により、別紙四記載のとおり、関西支社通訳翻訳課翻訳部門、名古屋支店及び京都支店の各取引先を奪われ、かつ、日本医学会総会の業務も奪われたとして(もっとも、日本医学会総会については、具体的な損害額の主張はない。)、これらの売上の減少を損害として主張する。そして、関西支社通訳翻訳課翻訳部門について、平成元年二月から同二年三月までの粗利益の平均及び同三年四月から同四年三月までの粗利益の平均を算出して、前者から後者を控除した額を損害とし、名古屋支店及び京都支店について、いずれも閉鎖などによって利益がないことを理由に、平成元年二月から同二年三月までの粗利益の平均を損害とし、これらの損害が三年間継続するものとして損害を算定している。
(二) 被告コングレは、別紙四記載の会議案件について、コンペや被告日本コンベンションからの委託により、すべて受注するに至っているが、コンベンション業界では、従業員と取引先との個人的な信頼関係が業務の受注に大きな影響を与えることからすると、このような被告コングレの業務の受注は、被告日本コンベンションから被告コングレに従業員が移ったことによるものと考えられる(なお、被告日本コンベンションは、被告隈崎や原告吉岡が業務の引継をしなかったことをもって取引先を奪われたと主張しているが、前記のように被告隈崎や原告吉岡が引継を行わなかったと認めるに足る証拠はない。)。
したがって、別紙四記載の会議案件について、被告隈崎及び原告吉岡の違法行為と被告日本コンベンションの損害との間には一応因果関係があると認められる。
しかし、被告コングレがこれらの会議案件を受注したことにより、被告日本コンベンションが、個々の会議案件について具体的にどれだけの額の損害を受けたのかは明らかではなく、被告日本コンベンションが主張する粗利益の比較だけでは、損害の立証としては不十分といわざるを得ない。
(三) また、被告日本コンベンションは、関西支社の翻訳部門、名古屋支店の通訳部門及び翻訳部門について、被告コングレに奪われた取引先を主張している。
しかし、これらの取引先が従前被告日本コンベンションと取引があったとしても、被告コングレ設立後、同被告と取引関係にあるのかどうか、これらの取引先が被告コングレと取引をすることにより、被告日本コンベンションに具体的にどれだけの額の損害が生じたのかといった点はいずれも不明であり、単に粗利益の比較だけでは、損害の立証としては不十分であるといわざるを得ない。
(四) してみると、被告日本コンベンションが主張する右損害は、いずれもこれを認めるに足る証拠はない。
2 被告日本コンベンションは、被告隈崎及び原告吉岡の行為によって、取引先に対するフォローを行うことができず、関西支社が事実上壊滅したかのような風評も流れ、企業としての名誉に大きな痛手を被るとともに、取引先に対する信用も失墜したとして、一億五〇〇〇万円の無形損害も主張している。
既に認定した事実からすると、被告隈崎及び原告吉岡の行為により、被告日本コンベンションの社会的信用に影響があったことは推認できるが、その内容が具体的にどのようなものかは明らかではなく、これを金銭的に評価することもできない。
したがって、この点についても、被告日本コンベンションの主張する損害額を認めるに足る証拠はない。
3 以上、被告日本コンベンションの被告隈崎、原告吉岡及び被告コングレに対する損害賠償請求は、いずれも認めることができない。
一三(ママ) 結論
以上によれば、原告吉岡の被告日本コンベンションに対する退職金請求は、理由がないので、これを棄却し、その余の原告らの被告日本コンベンションに対する退職金請求は、理由があるのでこれを認容し(ただし、原告横野及び同久保田のそれは、一部認容し、その余を棄却する。)、原告らの被告日本コンベンションに対する慰謝料請求は、いずれも理由がないのでこれを棄却し、被告日本コンベンションの被告隈崎、原告吉岡及び被告コングレに対する損害賠償請求は、いずれも理由がないので、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を適用して(なお、仮執行宣言はこれを付さない。)、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 中路義彦 裁判官 末吉幹和 裁判官 井上泰人)
別紙一
原告吉岡
325,660×{15+4(16-15)/12}×0.75=3,745,090≒3,746,000
原告小倉
271,640×{18+2(19-18)/12}×1.0=4,934,793≒4,935,000
原告横野
237,230×{8.5+7(10-8.5)/12}×0.5=1,112,016≒1,113,000
原告萩原
225,110×{8.5+4(10-8.5)/12}×0.5=1,012,995≒1,013,000
原告久保田
217,140×{4+10(5.5-4)/12}×0.3=341,996≒342,000
別紙二
原告横野
237,230×{8.5+4(10-8.5)/12}×0.5=1,067,535≒1,068,000
原告久保田
217,140×{4+9(5.5-4)/12}×0.3=333,853≒334,000